2024年5月2日木曜日

息子の「しつこい」しゃっくり治療

実は先日胃腸風邪に罹った息子の最後の症状が残っていました。

それは酷いしゃっくり(吃逆)です。風邪症状が強かった時の嘔吐が原因だと思うのですが、もともと息子はゲップが良く出る人間。推定ではありますが、私と同じで食道裂孔ヘルニアがあるのかもしれません。

ですから、今回、こういう感じの胃腸風邪でしつこく一晩中吐いた後ではGERD(食道胃逆流症)のような状況を助長して吃逆を誘導した可能性が高いと思っています。

それにしても、通常、しゃっくり自体は大きな問題では無くて放っておけば気がついた時にはもう消えているというようなものが大半。長くても数時間から半日というところですが、今回の息子のはちょっと長すぎ。吐いたのが収束し始めるのと同時に出現してきた弱いしゃっくりが、次第にその回数も症状も強くなってきてほぼ3日にわたってなかなか眠れない程の強さになってしまったのでした。

都市伝説で「しゃっくり100回出たら死ぬ」とか言うのがネット上ではありますが、そういうギャグ系の冗談は別として、眠れない程キツイというのはやっぱり止めてあげたいところ。

私自身は数年に一回「先生しゃっくりキツイんで、止めて貰えませんか」という感じのお願いをされます。迷走神経反射を使って止めるような方法論もアリはするのですが、なかなかそこまで絵に描いたようには上手くいくもんでもありません。そこで、内科的に処方するのはコントミン(クロルプロマジン)という薬。

この薬自体はドパミン遮断効果をもつ鎮静系の向精神薬で、最も初期の統合失調治療薬としても使われてきた薬です。まあ、当時のそれの治療の時には1000ミリ!くらい使ってたんですけどね。

それ以外には古いタイプの抗アレルギー剤としては12.5ミリ。そして肝心のしゃっくり治療用としては一日に75-150ミリ程度となっています。

添い寝してあげていたのですが、しゃっくりが止まらない状態で夜中もずっとヒックヒックと寝不足風になっていた息子。ちょっと可哀想になってきました。そこで、横に居た私は夜中の3時に思い立って自分の病院に行ってコントミンの50ミリ錠を貰ってきました。

その上で、自分の息子には50ミリ錠の半分の25ミリをクリーンなカッターで切り分けて、眠れそうで眠れない息子に麦茶を渡して一緒に飲ませました。

暫く観察していたのですが、ちょくちょく横を見ていたら一時間半ほど経った4時半ごろには、この3日半ほど「全く」止まる事の無かったしゃっくりがピタリと奇跡の様に止まっていました。

最初は、おいおい息してるか?と思って寝息を聞いてみたらこれがスヤスヤ。^^

一体だれが最初に発見したのか知りませんが、極少量のクロルプロマジンがこれほどしゃっくりに有効と云うのは驚きでした。翌朝も取りあえず無症状。これから後、午後になって少ししゃっくりが戻ってきましたが、それほどの強さではありません。

再度使用するか否かは程度を見極めていきますが、先ずは取りあえず短期間のPPIの投与を行っていく事も試しておきたいと思います。

ヤレヤレでした。

2024年5月1日水曜日

責任者出てこい!w

もう本当にお前らときたら…と愚痴りたくなるほどひでえ奴らが居るもんです。

この前、何かのテレビの広告で「医師の94.X%がこのXXを推薦しています!」何ていう文言を流していましたが、これってそもそも「医薬関係者、理容師、美容師、病院、診療所、(薬局)その他化粧品等の効能効果に関し、世人の認識に相当の影響を与える公務所、学校又は(学会を含む)団体が指定し、公認し、推せんし、指導し、又は[選用している等の広告を行ってはならない。]という医薬品適正広告基準に違反していると思います。

良く調べてみると、実に微細にわたってこういう広告の基準は制限がかかっておりまして、医師の推薦だけでなく、健康食品の広告で明確でない効果を明示または暗示する事も禁止。 例えば、栄養機能食品で謳うことができるのは栄養機能のみ。それに反すれば医薬品医療機器等法68条違反。 また「癌の専門医」や「糖尿病専門医」等の各分野の専門家である肩書きを出す事も禁止等と法の網は細かく悪党共を捕まえる網の準備をしています。

要するに冒頭に述べた様な「医師の94.X%がこのXXを推薦しています!」というような広告は何を宣伝するのかは別として可能な限り忌避するべきであって、そもそもそういう紛い物をもっとも買ってしまいそうな騙され易い年よりやその文言を判断する為の学問に縁の無い人達を、経済的、または健康被害者にしない為の堅固な壁なのです。

しかし、このネットの時代においてはそういった「微妙な」隙間を埋めるかの如く雲霞の様に黒い広告が湧いて出ます。完全にアウトなものや限りなく真っ黒なモノ、大丈夫と見せかけてやっぱり完全に黒いもの等、それはそれは多彩な騙し広告が「医師の推薦」や「XX学会が認めた!」とか「医学博士」等と騙って溢れてきます。

ちなみに医学博士と云うのはとりたてて医師でなくても学位を取りさえすれば名乗れますので要注意です! 

健康に対する効果を謳った「らしい広告」は全て眉に唾をつけて眺めるとともに、一切の購入を控えるべき筋合いのものだと思います。

そもそも「医師の94%が推薦する~」って、俺そんなの一回も聞かれたこと無いぞ?って、やっぱり俺は医者の中に勘定されてないって?こりゃまた失礼いたしました。

2024年4月30日火曜日

次女の誕生日

いろいろ起こった28日でしたが、結局いろいろ有りすぎてこの誕生祝いの事は書く余裕も有りませんでした。

次女が生まれたのはメリーランドのロックビルでしたが、あの日の事は今でも忘れません。嫁さんの股の下で、生まれてくる娘を片手でビデオ・カメラを回し、もう片方の手で嫁さんのウXコを取りながら、娘の頭が出て来るのをじっと待ち構えながらの時間でした。

出て来る娘が白い粉を被ったような感じで出てきた時に上の二人が生まれた時とはまた違う感じの感動を覚えました。

しかし、その娘も既に今回の誕生日で25歳になりました。

あの瞬間からもう四半世紀!25年も経ったのか~と考えると「感慨一入」という奴なんですが、時間は淡々と流れるものです。私が33歳の時の子供達だったのかと改めて思い出すのですが、この娘との思い出というものはそれこそ無数にあるのですが、次女に対する私の評価は「独特の子・変わった子」というもの。その上に「猛烈に我が強い」というものです。

親としては、もうこの子の小さい頃から何らかの「教育」というのをあきらめたところがあります。何か自分で勝手に周りから収集した情報を吸収して、自分なりの解釈を行って勝手に進む人という感じ。

それが良い方向に進むのかどうかは判りませんが、少なくとも小学生の時から私が何か言っても怒っても「絶対に」泣かないし、言う事を聞きませんでした。ある冬のイベントを境に私は「この子は頭ごなしの説教では絶対に変えられない」と悟って以来、どちらかというと悪い方向に行きさえしなければそのまま観察継続・・・という風に変えました。無責任化と思われそうですが、少なくとも北風と太陽の北風ではダメだと分かって以降はそうしています。

話を誕生会に戻しますが、誕生会では私が娘のリクエストに沿って買ってきたピザハットのセットを食べ、嫁さんが作ったケーキを食べ、最後にアメリカの姉から送られてきていたデザインTシャツに大喜びしていました。(ちなみに私のプレゼントは先日メルカリで購入してあげた画材です。^^)

私が生きている間にこの子はどんな変貌を遂げるのでしょうかね。見てみたいものだと強くおみました。 

2024年4月29日月曜日

帰ってきたら大変な事に…

昨日のバンジージャンプ見物の一回目に、ビデオを撮っていた最後の最後で息子が私の脇で「ゴホッ」と結構大量の唾液を吐いて一回だけ咳き込んだ事を書きました。

結局、夕方過ぎに家に帰ってきて夕食が終了した後で息子がやたらとゲップを出すようになりました。そして暫くするとそれが明確な嘔吐に変化していったのでした。7時になり、8時になると吐物はガンガン出るよになりました。

摂った夕食は殆ど吐き尽くしますがそれでも嘔吐は止まりません。完全な胃腸風邪だと思いました。熱は無く少なくともその時点では下痢症状は全く無し。余りに嘔吐が続くので、結局私は病院まで行って息子用に点滴セットを一揃い取りに行きました。診察記録をつけて物品搬出。家に戻ってきて直ぐに点滴開始となりました。

よもやマロリーワイス症候群のような事が起きんだろうなと心配になるほど…。

結局、夜になってからはずっと私がその嘔吐する息子の脇で横になって「ウッ、ウウッ」と起き上がる度に洗面器を顔の下に持って行って朝まで様子を見続けたのでした。こういう時の息子と云うのは、言葉は解らなくてもきちんと治療を受けてくれるのでなかなか患者さんになった時は優秀です。(注射をする時なども不思議そうな顔をしては居ますが、実に大人しく全く動きません。)

結局、そのまま朝になってある程度までは嘔吐の回数も減少してきましたが、私は仕事に行く時間となった為そこからは嫁さんにバトンタッチ。実はここから今度は下痢が始まりました。

出勤後の事は嫁さんからのラインで良く解ったのですが、その後大量の下痢を数回。その中には風呂場で洗っている途中のインシデントも含まれておりまして、かなりの苦闘があった模様ですが…。

その後午後も遅くなって送られてきた写真からは息子のHappy faceが次々に出ていました。これで一件落着。最終的にはちょっとした吃逆のみが残りましたが、一両日で消える事でしょう。

とんだ嘔吐下痢症の顛末でした。

2024年4月28日日曜日

頭がおかしいとしか思えませんでした

今日も息子を連れて岐阜へ!

一回やり始めたら止まらないのが私の癖。今月はずっと岐阜観光に嵌まっております。三週連続で岐阜のあちこちを巡っているのですから、岐阜県知事に褒めて貰いたいくらい。

今週はある方に「感動しました。是非行ってみて!」と言われて行ってみた杉原千畝記念館を訪れてみました。彼に関しては多くの方が知っていると思いますので、敢えて語る必要も無いかとは思いますが、言っては何ですが、岐阜のこんな田舎からこんな偉大な人間が出てきたんだという事実に改めて人の不思議を思いました。
6000人の命のビザとして良く語られますが、実はイスラエルに研究旅行に行った時もYad Vashemで衝撃を受けた記憶がありますし、「諸国民の中の正義の人」で彼が顕彰されたのは知っていました。しかし、日本側のこんなに名古屋から近いところで生まれていたとは!

館内を巡っていると、実際に追っ手の迫る中、ポーランドやリトアニアからアメリカやその他の国々へ逃れるための道のりが如何に大変だったのかという事が、そのパスポートに刻まれた種々のスタンプと書き込みで嫌という程こちらに迫ってきました。

やっぱりこの杉原さんという方は「気骨」という一本の筋でその精神が支えられていたという事に尽きると思いました。そして、その夫が「将来、職を失うかもしれない」と言った時に100%その御主人を支えた奥様も彼と同様に背中に一本の筋が通った人だったのだろうと容易に想像がつくのでした。

一緒に連れて行った息子には訳が分からない場所だったと思うので申し訳なかったのですが、まあ毎週のドライブと思って楽しんで貰えばそれで良しです。

ここを出た後、脇の食堂に入って遅い昼飯でもと思ったのですが、何か奥から人が出てくる気配が無くて結局中華そばを食べずそのままこの記念館のすぐ下にある池井戸潤の小説の舞台として架空の町、しかし確実にこの八百津町が舞台になっている「はやぶさ消防団」の記念館に行って参りました。
テレビドラマであったままのこんな感じの内装をそのまま残しているようです。
この人が書く小説はほぼ確実にすべて面白いのですが、このはやぶさ消防団の名前は知っていても読んだことは無かったので、ここを訪れた後に早速アマゾンで値段を調べてポチりました。テレ朝のドラマも視てみないといけませんね。

さて、実はこの後に生涯忘れないものを見る事となりました。実は帰りしなに、この記念館に居た元気なお姐さんに「日本一の高さから飛び降りるバンジージャンプがここから何分か来るまで行った所にありますよ」との話を聞いて、「それは行かなあかんやろ!」と息子と二人でそっちの方へ。

行くと表示がありましたよ。見学地点と云うのが最初は判らず細い道に入ってみてうねうねとドライブしてみたりしたのですが、何の事はない、ジャンプ地点の直ぐ傍に小さな駐車場があって、そこに車を停めて見物できるのでした。そこで見たのが以下の写真。
端のど真ん中に突出部分が小さく見えるでしょうか?ここからジャンプするのですが、日本一という理由が分かった気がしました。しかし、この脇から見てもヤバいと思える高さ。本当に飛ぶ輩が居るのかと思ったら、大学のサークルとかなんかっぽい10人位の集団がムササビ様のジャンプスーツを着て脇を通っていきました。暫くして見たのが以下のビデオ。

ここをクリックして頂ければ見られると思います。
更にこの下は、全く同じ事をエガちゃんがやったものです。

みているこちらがトラウマになりそうな感じで、「これは1千万積まれてもやらんな」と思ったのが正直なところです。実はこのビデオを撮っていた時に周りにオジサン達も沢山居たのですが、このビデオの最後に脇で一緒に見ていた息子が「ごほっ」と咳込んでいます。実は唾液を結構一緒に吐いていたので「?」車に酔ったのかなと思っていたのですが、この後これが何の意味だったのか家に帰って解る事になるのでした。

またその件は明日書きますが、とりあえず今日はここまで。